アサート No.491(2018年10月27日)

【書評】「国体論」 (白井 聡著 集英社新書2018.4.22)  

 戦前と戦後は如何に区別できるのか。天皇の統治した戦前は、無謀な戦争に突入し破滅的な敗戦を迎え終わった。連合軍に占領された後、連合軍(具体的にはアメリカ軍)による占領政策(軍隊の解体・治安維持法の廃止など)と民主憲法の成立により、日本は民主主義国家となった、という考え方が一般的で教科書にも記されている。
 著者白井は、戦前・戦後という区分について、戦前の明治から敗戦まで、そして戦後から現代が「類似した歴史経過」を辿っていると考える。戦前とは、日本を統治した国体=万世一系の天皇が統治した時代が、発展(明治期)停滞(大正期)崩壊・破滅(昭和20年まで)を経てきたこと、統治しない天皇(象徴天皇制)と占領・支配するアメリカを「国体」として再構築された「戦後」は、発展期(1975年前後まで)・停滞期(日米経済摩擦の時期)・破綻期(冷戦終了から現代)に分類し、戦前と戦後が、同様の経過を辿っていると分析する。

 「明治維新を始発点として成立した「国体」は、様々な側面で発展を遂げたが、昭和の時代に行き詰まりを迎え、第2次世界大戦での敗北によって崩壊した。そして戦後、「国体」は表向きは否定されたが、日米関係の中に再構築された」
 「思えば。占領改革と東西対立は、戦後日本をイデオロギーの次元ではすこぶる奇妙な状況に置いた。その構造においては、アメリカによる支配を受け入れることが、同時に天皇制の維持(独自性の維持)であり、民主主義でもあったのだ。国体の破壊(敗北と被支配)は国体の護持(天皇制の維持)であり、国体の護持(君主制の維持)は国体の破壊(民主制の導入)であった。これらは敗戦に伴う一時的な混乱などでは、さらさらない。この奇妙な矛盾のうちに、戦後日本の腑分けされるべき本質が横たわっているのである。」
 
 本書は、戦前の「国体」が、戦後は新たな「国体」(アメリカによる支配)に変異したとする考え方を示すとともに、戦前と戦後が、発展から破滅という共通の経過を辿っていることを示そうとする。そして、現在の日本の政治や社会が陥っている機能不全や破綻状態の根源を示すことで、そこからの脱却の回路を探ろうとしているのである。

 近年の私の関心は敗戦によって何が変わったのか、変わらないものの方が多いのではないかという点である。断絶と連続の歴史ではないか。経済においては、1940年体制が継続していると、経済学者野口は指摘している。1940年代に形成された国家総動員体制は戦後も継続し、高度経済成長が齎されたという。また、政治・軍事の分野では、戦争を遂行した陸海軍の首脳には、極東裁判による有罪・死刑等の審判が下された。しかし、東西冷戦の始まりと共に、アメリカは日本の再軍備を進め「保安隊」「警察予備隊」そして「自衛隊」の設置において、多くの旧陸海軍将校が幹部となっている。また、治安維持法を実際に運用した司法官僚・特高警察幹部・内務省関係者は、罪を問われることなく公職追放となったとしても、まもなく法曹界に復帰している。「警察・司法」関係者も、その後日本国憲法下で、それぞれの分野に復帰している。731部隊で人体実験を繰り返した旧帝大の医学関係者も罪を問われることなく戦後の医学会に君臨した。
 戦後民主主義と言われるが、政治・司法・軍事・経済体制のを担ったのは、日本を破滅に導いた戦犯達であり、彼らは一夜にして「反米愛国保守」から「親米愛国保守」に鞍替えしたに過ぎなかった連中である。
 本書では、万世一系の天皇統治国家が、敗戦・占領の過程を通じて、如何にして「象徴天皇制」と「アメリカへの従属」を基軸にした国家に変容したかが語られている。
 
 戦後の項では、冷戦がすでに終結し、アメリカへの従属が意味を為さず、新たなアジア秩序が求められる時期になっても、アメリカ・トランプへの従属を一層強め機能不全に陥っている安倍政権・親米保守派への痛烈な批判が展開される。一読を願いたい。(2018-10-21佐野)

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