アサート 229号(1996年12月14日)
【書評】 佐々木力『スターリン主義科学哲学の成立』
      (岩波書店『思想』862・864・868号、1996年4月・6月・10月号に分載)
  ソ連邦の崩壊後、そのイデオロギー構造を支えていた理論もまた厳しい再検討に曝されることになった。しかし今なお、われわれ自身を含めて、ソ連型マルクス主義の哲学=マルク・レーニン主義をどう総括・評価するかということについて、断罪と自己批判と戸惑いが存在していることは疑いがないところである。かつてわれわれが信奉し、行動の指針として研究理解してきた思想について、現在われわれ自身が問い直すことは、必要不可欠な事柄であるとはいえ、苦痛を感じることも事実である。しかし批判的総括はなされねばならない。
 本書は、マルクス・レーニン主義の成立とその正統と称して他を威圧してきたスターリン主義の思想の役割と変化を、(1)ロシア革命以前のレーニンの『唯物論と経験批判論』をめぐる論争と、(2)これに続く革命期〜1920年代の哲学論争、および(3)1929年のスターリンによる「文化革命」以後の状況という三時代区分を軸として展開する。そして更にはこのことと日本のマルクス主義哲学との歴史的関係から、日本におけるマルクス主義哲学の本質的欠陥を衝く指摘を行う。
 まず第一の時期について著者は、レーニンの『唯物論と経験・・』の出版をめぐる論争=レーニンに対するアクセリロードとボグダーノフの批判を考察する。そしてレーニンのこの著作が哲学的には素朴実在論と唯物論を同一視して、むしろ観念論の原型である「プラトン主義を裏返しにして」(アクセリロードの批判)いること――その理由は「二元論を採ったうえで、イデア(形相、観念)ではなく、ヒューレー(質料、物質)の実在を主張している」からとされる――、および「きわめて停滞的傾向」、「『坊主主義』への志向を敵側のものと見なすこと――絶対的なものへの礼拝を伴う、深い宗教的思考」(ボグダーノフの批判)として特徴づけられると指摘する。
 にもかかわらずレーニンは、1905年以降の反動期の政治的情勢によって、「『唯物論』の認識論的側面ではなく、断固とした無神論的観点から「哲学的唯物論」に固執することになった、というのが著者の評価である。
 しかしそれに続く第二の時期、レーニンは、ヘーゲル哲学の研究をつうじて上記の姿勢を変化させて、『哲学ノート』に結実される新しい「反映論的認識論」──「人間の意識は対象的世界を反映するだけでなく、それを創造しもする」とする「弁証法」にアクセントを置いた立場──へと移行する。レーニンの思想はこの時期に飛躍的な発展を遂げるが、1920年代の哲学論争──「機械論者」(素朴な意味でのそれではなく、自然科学から遊離した哲学的図式を退け、知的営為の自律性をうたうところに真の弁証法を見い出そうとする)対「弁証法論者」(プレハーノフの弟子であったデボーリンに代表される哲学者のグループで、「戦闘的唯物論者レーニン」を強調し、自然科学の研究も「目的意識的」な弁証法を導きの糸としなければならない、と主張する)の、いわば「自然科学の哲学」「科学哲学」に関する論争であった──においてもレーニンの在世中には政治的な介入指導はなされなかったといえるであろう。すなわちとのもかくにも1920年代には哲学の論争は可能だったのである。
 しかしこの哲学論争は、1929年に哲学によってではなく、デボーリン派の勝利として政治的に決着されることになる。そしてここに1930年代からの第三の時期が始まる。それはスターリン政治体制の成立、第一次五ケ年計画と相即する文化革命の時代である。
哲学においては、勝利したデボーリン派の中から「もっと『急進的』な青年哲学者たち」──ミーチン、コーリマン、ユーディンら──が「ボリシェヴィキ化」した哲学を開始する。そしてレーニンの『唯物論と経験・・』の反映論が「マルクス主義哲学の最大の理論的達成」として位置づけられ、これのドグマティックな解釈が「哲学のレーニン的段階」として賞賛されることになる。
 かくして「弁証法的唯物論」と「史的唯物論」という「ディアマート」の教程の制度化がなされて、ここにわれわれに馴染みのマルクス主義哲学が成立することになる。この状況は本書からの重引でいえば、「権威の真理が真理の権威に取って代った」と特徴づけることができるであろう。
 さらに著者は、このような哲学が日本に輸入されてわが国のマルクス主義哲学に与えた圧倒的な影響を検討するが、これについては著者の「わが国がソヴィエト思想を受容する際に示した態度に関して抱く感懐は、その非主体的で無批判な姿勢がきわめて顕著であったという点である」という主張があることを指摘するにとどめたい。

 以上のように本書は、「スターリン主義科学哲学」の萌芽から成立までを大胆かつ克明に描き出したものであるが、現在のわれわれにとってのマルクス主義哲学の根幹にかかわる問題点は次のようなものであろう。
 まず第一に著者は、マルクスとエンゲルスとの関係について、現在ではエンゲルスが「卑俗」な唯物論によってスターリン主義の芽を育てたと批判再検討されていることに対して、エンゲルスを「不当におとしめる」と反批判する立場をとっている。著者によればスターリン主義の根源は、プレハーノフの「ひからびた」哲学的唯物論とこれを信奉した『唯物論と経験・・』期のレーニンにあるのであり、このレーニンの著作の神格化がスターリンによってなされたとされる。それ故著者は、エンゲルスとレーニンやスターリンの思想の違いを強調することで、これを論証しようとする。しかし哲学に関してエンゲルスの中に歴史的社会的諸条件を超えた「超歴史的」諸命題が見い出され、これをどう解釈し、その社会主義への(特にスターリン主義形成に与えた)影響をどう解明していくかということが現在の問題なのである。この根が深い問題についてエンゲル
スに手をつけずに置いておくことはできないであろう。
 第二。レーニンの評価については、『唯物論と経験・・』の時期と『哲学ノート』の時期とを区分し、前者には酷評を、また後者には肯定的評価を与えている。弁証法的思考という観点から見ればこの評価はおおむね妥当と思われるが、この後者の時期についてのレーニンへの高い評価にもかかわらず、その後このレーニンの姿勢がソ連において伝統とはならずにスターリン主義にあっ気なく置き換えられたことについて、著者はいかなる説明をしようとするのか。ここにはスターリンの責任(これが最大であることはいうまでもないが)のみでは済まされ得ない、当時のソ連の構造とそれにかかわった主要な政治家についてのもっと包括的な総括が必要であるように思われる。著者自らが、「ソヴェト哲学の歴史過程を統べる基底音は、″政治の優位″ということ」であると述べているだけになおさら、著者が肩をもつトロツキイの位置とその果たした役割をも含めて、レーニンとの思想的関係を明確に特徴づける必要がある。その際レーニン自身の再評価も不可欠であろう。
 第三に、著者は「哲学的唯物論」(プレハーノフからマルクス・レーニン主義、スターリン主義にいたるソ連型哲学)が発生する基盤として、ロシアのツァーリズム体制とその先輩格(体制としても思想形態[18世紀唯物論]としても)にあたる18世紀フランスの旧体制との類似を指摘する。けれども、かかる状況証拠が前提も無しに持ち出されて「哲学的唯物論」の「精神的・物質的基盤」とされたところで、それほど大きな意味があるとは思われない。このことのためには、もう少し詳細かつ実証的な裏付けが必要であろう。
 第四に、著者の長大かつ精力的な検証過程に敬意を表するとしても、後半とくに終章における著者の叙述は、学問的研究とは表し難く、むしろ政治的主張に限りなく接近しているといえよう。その「マルクス主義『哲学』」に関しての論述はともかく、「スターリン主義」あるいは現在のロシアの評価については、政治的プロパガンダそのものと見なしてもよいような記述である。著者は、この政治的主張にこそ力点を置いているのであるが、このことは必ずしも成功していない。例えば、終章においてわが国では「学問的に厳密な意味で『スターリン主義』という概念が定義されず」としているにもかかわらず、同章の別の箇所でのロシアの現状分析については、「第一次五ケ年計画を冒険的に推進したスターリン主義者と今日のエリツィンらには明確な共通性が存在する」と無造作に「スターリン主義」という言葉を使用するなどの混乱が存在する。
 そして何よりも著者の本音を明らさまに示しているのは、本書の最終部分で、政治学者・丸山真男氏への日本のマルクス主義のセクト主義的対応を批判的に総括した後に、こう述べている部分である。
 「セクト主義が、新旧を問わず、日本のマルクス主義の宿痾であることを、このことは存分にしめした。だが、最終的結論がくだされたわけではない。われわれ第三者には希望する権利がある」。
 今までマルクス主義の思想に関係してきた者とは思えぬ第三者的発想で、今後のマルクス主義を希望する著者の立場とは一体いかなるものであるのか。
 このように本書はかなり深刻な問題を孕んだものであり、これからもっと真剣な議論に移されるべき事柄も多い。そして現在までの日本のマルクス主義への的確な批判も存在しないわけではない。それ故本書は、著者の学問的論証とトロツキイ寄りの政治的主張とを注意深く区別して教訓を汲み取るべく読む書であろう。(R) 

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