掲示板

〜記事削除ページ〜
記事の削除を行います。

[ 新規投稿 ]  [ 新着順一括表示 ]  [ 新着順タイトル表示 ]  [ ツリー表示 ]


記事を削除する為のパスワードを入力してください。
「今回の総選挙を考える 」の削除
投稿者氏名 反省する勇気
タイトル 今回の総選挙を考える 
本文 今回の総選挙を考える    2017-10-12   (反省する勇気)

今回の選挙は、安保法制推進から改憲を目指す安倍政権と 一極集中に歯止めをかけようとする野党の対決と言う図式だ。
前にお知らせしたように、すでに国会内では、改憲勢力は、過半数をはるかに超えている。国会での発議自体は、可能である。

戦後、70年以上が経過し、日本は、大きな曲がり角に立っていると思う。この70年間で、日本を取り巻く状況は、大きく変化した。
この変化に、対応できるかどうかは、将来の日本の針路、ひいては、世界の平和と安定に大きく影響することは明らかだ。

この70年間の日本の政局は、全体としてみれば、「護憲平和勢力」の後退という印象が残る。
なぜ、こうなったのか?? 考えてみた。皆さんの考えを お聞きしたい。

その原因は、(進歩勢力)と言われた人たちの「保守的」姿勢に尽きると、僕は思っている。
「平和憲法を守る」という(護憲)と言う言葉から象徴されるように、常に「守り」の姿勢が今日まで、続いている。
そこには、現状打破、自己改革、止揚(アウフヘーベン)の発想は無かった。
自己革新が停止していた。過去の「遺産の食いつぶし」が続いた・・・これが、長期低落の根本的な原因だと思う。

戦後、保守政権による軍隊の復活(警察予備隊)が、戦争体験(反戦平和意識)をバックにした「護憲運動=平和憲法守れ」につながった。
その流れが、今まで変化することなく(一貫して)続いているのだ。

共産党が、よく「自分たちは一貫して・・・」と自慢するが、一貫することは、自慢することでも何でもない。
むいろ一貫すること自体は、「不自然ではないか?」と僕は、以前から言ってきた。
ぼくの大学の先輩から「長い人生の中で思想が変わるのは、それを進歩というか変節と呼ぶかはともかく、やむをえないことです」との
メールをいただいたが、ぼくは、それに対しては、状況の変化に応じた対応の変化こそが、自然な姿であると思っている。

戦後の(一貫した護憲の流れ)が、戦後の進歩勢力の停滞と後退の主因ではないか? どうしても、そう思えてならない。 

 僕が、ある問題に関して、リベラルの動きを批判した時に、僕の高校時代の友人(彼は今、社民党大阪の指導部に入っている)から、
(今、そういうことを言うと、自民党政権を利することになるから言うべきではない!)と言われたことを思い出す。
自分たちの問題行動に対する批判に耳を貸さず、自己改革を封印してしまう・・・その体質が、運動全体を劣化させていったのではないか?

(一貫した護憲運動)が絶対化され、時代の変化、とりわけ大きな変化が進行した東アジアでの対応に、取り残されていったと思う。
社会党でいえば、石橋政嗣氏の「非武装中立」というドグマに縛られていった。
社会党員時代には、自衛権を頭から否定することができない(いらだたしさ)を、僕は、よく感じていたものだ。
道理に合わないことについて、見て見ぬ振りをしてきたのだ。自己批判しきり・・・だ。

自衛権を公に認めると「自衛隊の存在」を肯定することになる。
「軍隊は暴力装置」「反体制運動、自国民の抑圧が本性」という偏った認識からは、「見て見ぬ振り」をするか、居直るしかない。
「見て見ぬ振り」は、出来ないことは無いが、「居直る」には、あまりにも無理があった。
その結果として、運動は理論的にも、現実の運動でも、萎縮、後退が続いた。

自衛権は、国際的にも、人間的にも、肯定されるべきだ。
(無抵抗主義、絶対平和主義、降伏主義は、一つの考え方ではあるが、僕は、評価しない。)

したがって、自衛隊は、抑止力として、必要不可欠の存在であって、認められるべきである。憲法9条に照らしては、
違憲であるとの批判がある以上は、憲法を改正して、自衛隊の位置づけを明確にすることが必要だ・・・これが、ぼくの意見だ。

リベラルの立場からは、立憲民主党の枝野氏は、(合憲だから、憲法改正の必要無し、自衛隊存続容認)、
社民党・共産党は、(違憲だから、自衛隊は、廃止=プロセスは異なる)という。

こういう自衛権の発動も含めた安保法制論議は、一昨年あたりから、国会で行われてきたが、
「すれ違い」ばかりで、大いなる違和感を感じる・・・と、以前、ぼくが発信したのを覚えておられるだろうか?

そう、野党側の質問の中身には、(日本が戦争に巻き込まれる・・・)という立場からの質問が目立つ一方、中国・北朝鮮という
不安定要因についての議論を避けているフシが目立ったのだ。
逆に、(目の前にある危機)を強調する安倍首相の答弁には、国民が否定できない(抑止力の効果)を前面に押し出すことによる
(攻め)の姿勢が、印象に残っている。
これは、マスコミの論調にも共通して言えることでもあった。
「戦争しない国に」「戦争は嫌だ」「平和を守れ」・・・・戦後の安易な反戦意識にのみ依拠した(保守的)な報道は、
過去の遺産の食いつぶし・・・絶対平和主義による自滅的様相を感じたものだ。

国民の反戦意識自体は、極めて正しいし、大切に受け継いでいきながら、目も前にある危機を避けることなく正面から向き合い、
戦争を避ける具体的な手立てをめぐって、論争すべきであった。 野党は、その危機(北朝鮮・中国)を語ることを避けてしまったのである。

自衛権を認める以上、自衛隊の存続・維持無しに、抑止力はありえないのだから、僕に言わせれば、「自衛隊の廃止」などは、論外で、
無責任も良いところだ。       
 また、「合憲」だというのは、これまでの自民党政権による。「解釈改憲」そのものだが、戦後70年以上も経過して、現状に合わない問題を
無理やり現状に合わせるのは、限界だと判断するのが自然だろう。

国会内では、改憲勢力は、過半数をはるかに超えているが、それとは無関係に、東アジアの平和と安定を維持するための努力は、喫緊の課題だと思う。

Jアラートに不快感を表明して、安倍批判の材料にしようとする新社会党の姑息なキャンペーンを思い出し、あらためて人類の愚かさに、思いを馳せた。

皆さんは、どう思われるか?      (反省する勇気)



削除パスワード